基礎から学ぶ 弥生時代
古代史入門講座
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日本考古学協会会員西川 寿勝

講座説明

弥生時代とはどのような時代だったのか? 発掘成果をもとに弥生文化や稲作の実態を読み解きます。

弥生人はどこから来たのか、古墳時代との繋がりは? 銅鐸(どうたく)とは何か? 

研究の最前線と諸説をわかりやすく解説する入門講座です。各回独立したテーマです。

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★2024年度4月~9月全6回 (各回第4日曜日10:30~12:00)
第1回 4月28日(日) 総論 弥生文化の特徴と暦年代
第2回 5月26日(日)   弥生水田の研究、最前線
第3回 6月23日(日) 弥生集落の研究、最前線
第4回 7月28日(日) 弥生墳墓の研究、最前線
第5回 8月25日(日) 銅鐸(どうたく)とは何か
第6回 9月22日(日) 遺跡から読み解く弥生の風景

 

【詳 細】

第1回 2024年4月28日(日) 10:30~12:00

「総論 弥生文化の特徴と暦年代」
 貝塚時代(縄紋時代)から古墳時代への流れの中、東京の弥生町遺跡から弥生土器が発見され、コメ作り開始の歴史が研究され始めました。当初、始皇帝の中国統一による難民などが弥生渡来人とされました。しかし近年、コメ作りが縄紋後期にさかのぼり、その開始は紀元前1000年頃とわかってきました。古墳時代との境界には庄内期がはさまり、終焉は紀元200年代、邪馬台国女王卑弥呼登場の頃です。

 

第2回 2024年5月26日(日) 10:30~12:00

「弥生水田の研究、最前線」
 縄紋文化にコメ作りはどう定着していくのか? 弥生の稲作技術とは? 北部九州に上陸した渡来弥生人は急速に東進し、日本海ルートと太平洋ルートで青森まで進んだとされましたが、その歩みは近畿・東海への浸透に400年以上かかることもわかってきました。石包丁による穂積み刈り、鉄鎌による稲刈りの違いは?

 

第3回 2024年6月23日(日) 10:30~12:00

「弥生集落の研究、最前線」
 平地に定住した弥生人は拠点集落を中心に衛星集落に分岐、交易のネットワークをつくり出します。石器素材などの流通、婚姻圏の確立です。ところが、外交による鉄器獲得が必要になると、ネットワークは崩壊、弥生集落は環濠を埋め、解体してゆきます。高地性集落とは何か? 倭国乱と邪馬台国連合成立までを検討します。

 

第4回 2024年7月28日(日) 10:30~12:00

「弥生墳墓の研究、最前線」
 縄紋集落は村ごとに土壙墓をつくり、弥生集落に引き継がれます。北部九州ではカメ棺墓群が、近畿では一族ごとに区画された方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)群でした。ところが、弥生時代後期になると、一族墓のなかに大きな個人墓が登場、古墳の萌芽がみられます。しかし、古墳時代になると村の共同墓地はなくなります。

 

第5回 2024年8月25日(日) 10:30~12:00

「銅鐸(どうたく)とは何か」
 中国や半島で家畜の首につるしたベルはわが国に伝わって銅鐸となりました。当初の銅鐸は大阪で作られ、縄紋の影響を受けているという説、否定する説が論争されます。また、最後の銅鐸は集落外に埋め捨てられたり、破壊されて小片で発見されます。銅鐸祭祀をやめた理由の諸説を検討します。出雲の銅鐸群は佐賀で作られた? 銅鐸鋳造と型式の基礎知識、起源と終焉の謎にせまります。

 

第6回 2024年9月22日(日) 10:30~12:00

「遺跡から読み解く弥生の風景」
 登呂遺跡・吉野ケ里遺跡・池上曽根遺跡・青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡など、全国の有名弥生遺跡の発掘成果や出土品を紹介、弥生文化の特質と研究の歩みを解説します。弥生時代のなかに九州から東北まで画一的な文化が形成された? 古墳文化との違いは? 鉄器はどの程度普及した? 諸説を検討します。
 

  • 講座タイプ
  • 常設講座

  • 初回講座日
  • 2024年04月28日

  • コース
  • 第4日曜10:30~12:00

  • 受講料
  • 6カ月6回
    15,840円

  • 受講のしかた
  • 大阪

電話でのお問い合わせは06-6346-8700