[ジャンル] 歴史
41件 講座中 1~10件目を表示
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入会金不要見学不可途中入会不可
『古事記』説話と『日本書紀』 ~神武天皇の即位を読む~
入会金不要見学不可途中入会不可『古事記』は、日本に残されているもっとも古い歴史書のひとつです。神話から書きはじめられ、読み親しまれている方も多いと思います。しかし同時代に編まれた『日本書紀』と読み比べるとその内容はずいぶん違い、日本に残されていた話が一つではなかったことがわかります。 今回は中巻の神武天皇代にスポットを当て、『日本書紀』を交えながら読みます。はじめての方でも大丈夫、現代語訳で読みやすい資料を講師が準備します。筆記用具だけで気軽にお越しください。 8月29日(金) 熊野から宇陀への進出 9月 5日(金) 天皇側と大和側から読む 9月19日(金) 新たな都と天皇名 キーワード:古事記神話と日本書紀:古事記説話と日本書紀
梅花女子大学教授 市瀬 雅之
梅花女子大学教授 市瀬 雅之
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入会金必要
古文書入門 基礎の基礎
入会金必要過ぎ去った時代を知る方法には、いくつかの方法がありますが、当時の人びとが書き残したもの(古文書(こもんじょ))を読むのが一番! 古文書は、和紙に墨筆で、しかも漢字をくずした書体で書かれています。 その読み方や内容の理解の仕方を、はじめから解説します。 これから古文書の勉強を始めてみたい方におすすめです。 テキストは毎回コピーして配布します。
歴史学者 藤田 恒春
歴史学者 藤田 恒春
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New入会金必要常時入会可
参勤交代の文明史
New入会金必要常時入会可江戸幕府によってはじめられた参勤交代は、全国の大名を統制した制度として知られていますが、近年の研究によってその副次的、波及的な効果が絶大であり、日本社会の近代化にとって多大な影響力を及ぼしていることが明らかになってきました。また参勤交代制度の形成過程も複雑です。 講座では、その諸側面について解説していきます。 ★2025年4月~9月のスケジュール★ 1.4月2日(水) 参勤交代の形成事情Ⅰ ― 家康・秀忠の対朝廷政策と西国問題 2.5月7日(水) 参勤交代の形成事情Ⅱ ― 西国豊臣系諸大名の改易 3.6月4日(水) 参勤交代制度の成立 4.7月2日(水) 参勤交代と大名財政 5.8月6日(水) 参勤交代と上方の経済的発展 6.9月3日(水) 徳川社会の近代化 ※2025年4月時点の予定と変えて、1年カリキュラムを半年にまとめます。後半は6月から9月の4カ月で最後まで語ります ※2025年10月~2026年3月は、「参勤交代の文明史」の10月から話す予定だった内容と被る部分もあり、別の視点から再編成して話します。2025年10月からは、「吉宗の享保改革と18世紀の日本」です
国際日本文化研究センター名誉教授 笠谷 和比古
国際日本文化研究センター名誉教授 笠谷 和比古
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Newおすすめ入会金必要
江戸時代藩校の魅力 ~ 漢学 藩校における中国文化
Newおすすめ入会金必要藩校とは、江戸時代、各藩によって設立・経営された藩士の子弟育成のための学校です。各藩が人材養成に力を入れ、全国で255校をも数えました。「文武兼備」を目標としました。年少で入学し、まず「文」を学び15歳前後から「武」をも学ぶ例が多いです。学習の中枢は漢学で、すべての藩校で行われており、初学者にも四書五経などの儒学書の素読と習字を課しました。 藩校は藩士の忠誠心を養う人格陶冶から、藩の富国強兵のための時務に通じる吏僚の知識技能を培う実学教育を目指す方向に進んでいきました。この間に、結果として地方文化の振興にも貢献しました。1871(明治4)年、廃藩置県で廃止され、一部は公私立の専門学校、中学校、小学校に変わりました。藩校は、日本の教育の原点です。 第3期は「明倫養賢堂」(仙台藩・宮城県)、「致道館」=写真=(庄内藩・山形県)、「文武学校」(松代藩・長野県)、「明倫堂」(金沢藩・石川県)、「崇教館」(松本藩・長野県)、「成章館」(田原藩・愛知県)を取り上げます。
甲南大学教授・一般社団法人日中文化振興事業団代表理事 胡 金定
甲南大学教授・一般社団法人日中文化振興事業団代表理事 胡 金定
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入会金必要
伝承や物語を考古学で考える
入会金必要世の中には各地に伝承、または物語の中にいわゆる「お話し」としてしか考えられていないことが数多くあります。 その中から発掘調査で検証できること、文献や建造物で、それらがただのお話ではないことを考古学から考えられることがあります。そのいくつかを取り上げたいと思います。 2025年7月~12月★カリキュラム予定★ 7月28日(月) 京都・法成寺の瑠璃の瓦 8月18日(月)※ 大和・西大寺 9月22日(月) 『日本霊異記』に見える下野寺 10月27日(月) 瀬戸内海に浮かぶ周防大島 11月17日(月)※ 紀伊・道成寺 12月22日(月) 瓦の多い国と少ない国 ※2025年8月と11月は、第3月曜日に変更していますのでご注意ください <2025年7月~12月カリキュラム詳細> 7月28日(月) 京都・法成寺の瑠璃の瓦 発掘された一片の瓦に誰も信じなかった真珠層が! 調査を進める中で、藤原道長の栄華を主に、200年の世継ぎ物語である「栄華物語」の中に、法成寺の瓦の一説を見つけることになりました。 法成寺の落慶は1003年前の7月16日ですので今月を選びました。 8月25日(月) 大和・西大寺 奈良時代の終わり頃、称徳天皇の時代に建てられた勅願寺です。 平安時代にまとめられた『日本霊異記』に残るお話が、或る大雨が発端となり実話を反映していることが明らかになりました。 9月22日(月) 『日本霊異記』に見える下野寺 古代瓦の第一人者でおられた森郁夫先生が復元された文学から考古学的に検証されたことを、先生のご論文からご紹介いたします。 10月27日(月) 瀬戸内海に浮かぶ周防大島 聖徳太子が父・用明天皇の思いを訪ねられた歴史を秘めた金魚(形)島に、太子が使われた駒つなぎの岩が残ります。 11月24日(月) 紀伊・道成寺 海から日高川を入ったところに位置する防御の任を担った古代寺院・道成寺。 「安珍・清姫」の物語の意味するものは・・・。 12月22日(月) 瓦の多い国と少ない国 古代瓦が多い国と少ない国があります。 聖武天皇の詔により全国に国分寺・国分尼寺が建立されますが、中央の瓦によく似た美しい瓦がある国と、そうでない国があります。 現在の我々が想像する在り方と当時、当地に生きた人々の心意気が実際は反対だったかもしれません。
帝塚山大学考古学研究所特別研究員 甲斐 弓子
帝塚山大学考古学研究所特別研究員 甲斐 弓子
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Newおすすめ入会金不要
高安山麓の古墳を考える 後編 高安千塚(たかやすせんづか)古墳群
Newおすすめ入会金不要高安千塚(たかやすせんづか)古墳群 国史跡指定10周年! 心合寺山(しおんじやま)古墳 整備完成後20周年! 百舌鳥・古市古墳群が造られた大阪平野の東側、生駒山地の一角「高安山麓(八尾市)」には、北・中河内最大の前方後円墳の心合寺山(しおんじやま)古墳や近畿地方有数の大型群集墳の高安千塚(たかやすせんづか)古墳群など、さながら古墳のテーマパークです。 2005年に古墳時代中期の築造当時の姿に復元された心合寺山古墳と、2015年に国指定史跡になった古墳時代後期に横穴式石室を有した200基以上の大型群集墳の高安千塚古墳群の調査担当者が、高安山麓の古墳の謎にせまります。 ★前編2025年5月18日(日)13:30~15:00 心合寺山(しおんじやま)古墳の受講申込はこちら 【開講日】2025年6月15日 (日) 13:30~15:00 高安山麓の古墳を考える 後編 -河内平野をのぞむ大型群集墳・高安千塚古墳群を考える- 【講師】八尾市 魅力創造部観光・文化財課課長補佐 藤井 淳弘 高安山麓の中央部、横穴式石室を有した2基の前方後円墳の築造を契機にして、のちに大型群集墳となる高安千塚古墳群の造営が始まります。しかし、6世紀後半に最盛期をむかえますが、6世紀末に古墳群の造営が突如終了します。こうした古墳群の動向は古代氏族・物部氏との関係が指摘されます。古墳群の中核である服部川支群を中心として国指定史跡になり10年が経ち、物部氏に関係する古墳や集落の調査・研究の最新の成果をふまえて、高安千塚古墳群の造営集団について考えます。 内容:1.プロローグ 群集墳に葬られた人々が住んだ河内平野の集落 2.中河内で最初に横穴式石室を導入した郡川西塚古墳と郡川東塚古墳 3.大型群集墳・高安千塚古墳群の造営 4.大阪府下最大の横穴式石室・愛宕塚古墳築造の意味 【受講料】1回2,420円
八尾市 魅力創造部観光・文化財課 藤井 淳弘
八尾市 魅力創造部観光・文化財課 藤井 淳弘
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Newおすすめ入会金必要常時入会可見学不可
古代宮都を歩く
Newおすすめ入会金必要常時入会可見学不可弥生時代から奈良時代まで、奈良を中心とする近畿各地に築かれた都市や宮殿があった宮都、いわゆる「首都」を訪ねます。 古代宮都を巡っては近年、邪馬台国の女王卑弥呼が住んだ可能性も指摘される大型建物が纏向遺跡で見つかったり、聖武天皇が1300年前に即位した際の大嘗宮跡や関連の木簡が発見されたりと、大ニュースが相次いでいます。本講座では最新の成果を紹介しながら、古代の都の物語を学びます。 古代の人々が実際に立っていた場所で、ご一緒にタイムスリップを楽しみませんか?前期は弥生時代から飛鳥時代、後期は飛鳥時代末期から奈良時代です。 ※写真は平城宮跡の復元第一次大極殿 小雨決行(台風などが予想される場合は文化センターでの座学に変更) 便宜上、前期(4~9月)と後期(10~3月)に分けますが、随時参加を受け付けます(ただし受講料は6カ月単位)。なお8月は熱暑を避けるため、6月の第3日曜に振り替えます。 【前期】 4月13日 ガイダンス(毎日文化センター)※時間は午前10時半~正午 5月11日 唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町) 約2000年前の弥生時代、奈良盆地の中央にあった日本最大級のムラの跡。楼閣を描いた土器の出土で、当時の人々が重層建築を知っていたことが明らかになった。近畿エリアの中核だったと見られています。 6月 8日 纏向遺跡と箸墓古墳(奈良県桜井市) 箸墓は卑弥呼の墓説がある巨大前方後円墳。周囲の纏向遺跡は全国各地との交流が盛んだった一大拠点で、神殿かと言われる大型建物跡や祭祀に用いられた木製仮面なども出土しました。邪馬台国の有力候補地の中核を訪ねます。 6月22日 飛鳥京跡その1(奈良県明日香村・橿原市=石舞台古墳・島庄遺跡・丸山古墳) 石舞台古墳を含む島庄遺跡は飛鳥時代の巨大豪族、蘇我氏の本拠地です。その痕跡を現代の土地区画ラインなどに見ることができます。丸山古墳は蘇我氏出身の堅塩姫と欽明天皇の墓ともいう最後の巨大前方後円墳です。 ※8月休講(猛暑対策)の振り替えです。 7月13日 飛鳥京跡その2(奈良県明日香村=飛鳥京跡・飛鳥京苑池跡・甘樫丘) 飛鳥京は飛鳥時代の宮都で、巨大な苑池や天皇の祭祀場かという施設(酒船石遺跡)などもありました。それを見下ろす甘樫丘には蘇我氏の邸宅があったとされ、滅亡時の火災痕なども発見されています。 9月14日 難波宮跡(大阪市) 大阪城南側の難波宮跡は、飛鳥時代の孝徳天皇が遷都した前期と、奈良時代に聖武天皇が副都とした後期に大別されます。いずれも、早々に「首都移転」を迫られました。なぜ歴史の渦にのまれたのか。ビル群の谷間で考えたいと思います。 ※何月からでも6カ月単位で受講できますが、定員になり次第、締め切ります。
全国紙元記者・編集委員、文化財ジャーナリスト 小滝 ちひろ
全国紙元記者・編集委員、文化財ジャーナリスト 小滝 ちひろ
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残り僅か入会金必要常時入会可
はじめての日本書紀 ~乙巳の変と難波宮遷都~
残り僅か入会金必要常時入会可『日本書紀』は、現在残される年次を記したもっとも古い歴史書です。神代から第41代持統天皇までのできごとを記しています。読んでみると、日本という国の成り立ちを知ることができます。 今回は、はじめて開いてみようと思う方のために、今期は皇極天皇条を中心に「乙巳の変と難波宮遷都」を読みます。テキストは不要です。講師のオリジナル資料は、現代語訳で読みやすくなっています。どうぞ身軽に気軽にお越しください。 4月25日 皇后即位の意味 5月23日 東アジアの政変と日本 6月27日 蝦夷と入鹿は横暴だといわれるが 7月25日 鎌足が求めた皇子たち 8月22日 乙巳の変 9月26日 難波への遷都
梅花女子大学教授 市瀬 雅之
梅花女子大学教授 市瀬 雅之
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Newおすすめ入会金必要常時入会可
昭和天皇の実録を読み解く ―宮内庁編纂資料から
Newおすすめ入会金必要常時入会可4月11日開講!〈昭和天皇の実録を読み解く〉前期6回、後期6回。後期は10月10日から。 昭和天皇は、摂政、天皇と70年近く、日本を代表する地位にあった。憲法上の位置は1947年を境に大きく変わったが、長期にわたって政治に関わり続けた稀有の人といえる。 生前は公式会見での発言の外は侍従らのエッセイしか史料と言えるものはなかったが、没後は侍従らの日記やメモ、書簡に加え、天皇自らが史料を残す意味の記録にも熱心だったことがわかってきた。 宮内庁は、スタッフを増員して『昭和天皇実録』編纂に努力し、24年5カ月の歳月をかけて全61冊、1万2千頁の実録を完成させる。それを全19巻にまとめた『昭和天皇実録』が東京書籍から2019年までに刊行された。この『実録』を中心に、側近等の史料を加え、考察していく。戦前(戦中含む)1年、戦後1年の2年間で完結予定。 ・講義予定 ・講義予定 <戦前の前期> 第1回 誕生から幼少期―明治天皇の影響 第2回 皇太子―大正天皇の家族 第3回 英国王室と日本皇室 第4回 摂政から天皇へ 第5回 大元帥 第6回 山東出兵 <後期(10~3月)予定> 第1回 満州事変▽第2回 二・二六事件▽第3回 混迷の日本外交▽第4回 日中全面戦争▽第5回 太平洋戦争▽第6回 戦争終結へ
佛教大学歴史学部名誉教授 原田 敬一
佛教大学歴史学部名誉教授 原田 敬一
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Newおすすめ入会金必要常時入会可
聖徳太子は実在したか? その実像と謎
Newおすすめ入会金必要常時入会可梅原猛は『隠された十字架—法隆寺論』で、法隆寺は聖徳太子の怨霊を封じ込めるために再建されたと言う。和の精神で『憲法十七条』を説いた聖徳太子が怨霊だったと度肝を抜いた。 これに対し、聖徳太子関係の史料は信用できないということから、聖徳太子実在論争が起きることになった。当時は実は蘇我王朝であり、大王は馬子であって、その皇子に厩戸王はいないから、『聖徳太子はいなかった』と在野の石渡信一郎は非実在論を展開した。大山誠一は、厩戸王の実在は認めながらも、何一つ聖徳太子と呼ばれるような業績をあげておらず、奈良時代の脚色によって祭り上げられたとする。 これらの論争をたどりながら、聖徳太子は果たして実在したのか、その実像に迫り、封印された謎を解明していきます。 【6回】 1.梅原猛著『隠された十字架』(1972年 新潮社) 法隆寺は聖徳太子の怨霊封じのために再建されたのか? 2.石渡信一郎著『聖徳太子はいなかった』(1992年 三一書房) 蘇我馬子は大王だったが、彼には厩戸王という王子はいなかった。 3.大山誠一著『聖徳太子の誕生』(1999年 吉川弘文館) 厩戸王はいたけれど、業績は僧道慈の捏造か? 4.関裕二著『聖徳太子は蘇我入鹿である』(1999年 ワニ書房) 蘇我入鹿の善行は聖徳太子として別人格にされ、本人は悪人にされた。 5.遠山美都男著『聖徳太子の謎』(2013年 宝島社) 厩戸王は何故天皇にはなれず、聖者に祭り上げられたのか? 6.石井公成著『聖徳太子―実像と伝説の間』(2016年 春秋社) 伝説化された聖徳太子から虚飾を除くとどんな実像が見えてくるのか?
哲学者 やすいゆたか
哲学者 やすいゆたか